サイクロントレイシー
(1974年)

1974年、サイクロントレイシーはダーウィンの街をわずか数時間にして破壊してしまいました。サイクロンの軌道、当時の写真、録音されたサウンド、被害の後に掘り出されたものたちは、ダーウィンミュージアムに展示されています。

サイクロンが直撃したその時、その場に居合わせなかった人々にとって、それがどれほど恐ろしいものだったのか、人々はどのような感情だったのかを想像するのはとても難しいです。しかし、ミュージアム&アートギャラリー(Museum & Art Gallery of the Northern Territory)という博物館に行けば、リアリティあふれる展示を常時見ることができます。

強風によって吹き飛ばされた鉄板が未だに木に巻き付いています(2012年)強風によって吹き飛ばされた鉄板が未だに木に巻き付いています(2012年)

すべての地域の家々がなぎ倒され、崩壊している写真を見ると、この災害がどれほど甚大だったかがよく分かります。

サイクロンから5年経っても、街は元に戻りませんでした。木々はほとんど生え変わっておらず、そこら中の家が被害を受けた当時のまま残されていました。

瓦礫が木に挟まっているような光景は、至るところで見られました。上の写真は2012年になってもなお、強風によって吹き飛ばされた鉄板が木に巻き付いている様子です。

サイクロントレイシーによるダメージサイクロントレイシーによるダメージ

風速217km/h、これはダーウィン空港にあった風速観測機器が記録している最後の数値です。その後さらなる強風によりこの機器は吹き飛ばされてしまったため、最大風速は300km/hほどであったと予測されています。


このような被害があったことを知ると、ダーウィンはとても新しい街であるということに気づきます。トレイシーが直撃した後、街にはほとんどなにも残っていなかったのですからね。

ちなみに、サイクロントレイシーが直撃する前の60年代から70年代、ダーウィンはこんな風景(Enjoy Darwinへ移動)だったそうです。

家々、そしてインフラが被った甚大な被害により、多くの人は他の都市へと避難を余儀なくされ、ダーウィンの人口は4万5千人から、約1万人にまで激減してしまいました。

一度出て行ってしまった人々が戻ってくることはなかったものの、街の再建にあったって、多くの他の都市、国の人々がここダーウィンに集まりました。その結果、若く多様なバックグラウンドをもった人々によって街は建て直され、今の多文化な街ダーウィンの形成へと繋がったのです。

もしあなたがダーウィンに移住したり、家を買ったり、ビジネスを始めようと考えているならば、今のダーウィンがこのようにして再建されたこと、そしてそれが今のダーウィンの在り方に大きな影響を与えたということを理解しておくのはとても大切でしょう。

サイクロンの後、このような甚大な被害が起こらないよう、建築基準法は劇的に厳しくなりました。And the rebuilding was largely done by the NT Housing Commission using only a limited number of designs on a large scale.ある時には、90%近くの家が政府、もしくは銀行のような大きなナショナルカンパニーによって所有されていました。At one stage nearly 90% of homes in Darwin were owned by either Government Departments or large national companies such as banks

「このスチール製の梁はトレイシーの強風によってこのような形に捻じ曲げられた」、とこちらの刻板に書いてあります。このモニュメントは自然の脅威を我々に思い出させてくれます。厳格化された建築基準法が、同じようなサイクロンが襲ってきた時に悲惨な被害をきちんと防いでくれることを願うばかりです。ちなみにこちらのモニュメントはカジュアリーナカレッジにあります。


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